僕の知らない君と、君の知らない僕 〜茜〜


きっと、これを他の誰かに言ってしまえば、幻滅されることになるだろう。
冬馬から告白された日を、茜は忘れない。
二人きりの教室。
冬馬のごつごつした手が、そっと茜の手に触れ、そして好きだと告げられた。
カッコいいなと思ったし、思わずきゅんとしてしまうような展開でもあった。
けれど、それ以上に思ったことが一つ。
これは良い機会だ、と。

「茜ー」
「何、智晴」
「英語の教科書貸して!」
「……また?」
「そう言わずに!」
はあ、と智晴にも分かるように茜はため息をついた。
だけど智晴は両手を合わして、お願いポーズを続けている。
「もう次はないからね?」
仕方ないな、と思いつつも貸さないなんてことはなく、結局教科書を差し出してしまう。
「サンキュー!」
「こんなダメダメな奴が彼氏で可哀想ね、美雪ちゃん」
「な、美雪は関係ないだろ!」
「関係あるわよー」 “美雪ちゃん”だった呼び方が、いつの間にか呼び捨てになっている。
二人が付き合うようになったことは茜にとって意外な出来事だったが、それ以上に予想外だったのが、上手く行っていると言う事実だ。
傍から見ればすぐわかる。
智晴は、とても美雪を大切にしている。
自分以外の誰も、彼女に触れなければ良いのにと考えてるほどに。
きっとそれは無意識で、他人から見れば智晴がそんな風に考えているなどと思うことはないだろう。
しかし茜には分かる。
明るさと優しさで上手く包まれているが、そこには確実に醜い独占欲が隠れている。
面白いのは、美雪自身がそれを望んでいることで、更に面白いことに、二人ともそんな自分に気が付いていない。
その方が良いと思う。
二人の望みは叶っているのだし、本当の気持ちなんてわざわざ知る必要なんてない。
自分の気持ちも他人の気持ちも、すべて分かってしまうのなんて、ただつまらないだけだ。
「……羨ましいわ」
「ん、何か言ったか茜?」
「ううん、何も。そろそろ行かなくて良いの?授業始まるけど」
「本当だ……!じゃ、また後で返すから!」
「はいはい」
茜のクラスから慌てて飛び出し、もはや誰も注意のしない廊下を走るという行為に出る智晴。
それを軽く見送って、茜は自分の席に戻った。


美雪を、羨ましく思う。
きっと智晴は、心の底から欲しいと思ったものは何としても手に入れようと思うだろうから。
それは危うい執着心だが、その分大切にしてくれるだろう。
羨ましい。
けれどそれは、智晴を手に入れたいと思うこととは全く違う。
むしろ、智晴を手放したのは茜の方だ。
あの幼馴染は、まるで刷り込みのように茜を慕っていた。
いつか巣立つ時が来るだろうと思っていたのに、いつまで経っても智晴の特別は茜だけで。
でもそれが恋心という色気の持ったものではないことなんて、茜はとっくに知っていた。
もちろん、茜だってそんな風に智晴を想ったことなんて一度もない。
なんとかして自分から智晴を離さないと、離れられなくなると思っていた頃。
冬馬からの告白を受けた。
その時思ったのだ。
荒療治かもしれないが、これは良い機会だ、と。
実際に、茜の目論見は成功した。
多少傷つけたかもしれなかったが、お陰で茜と智晴は“仲の良い幼馴染”という関係をようやく築くことが出来たのだ。
冬馬には、そんな不純な動機で告白に頷いたことを悪いなと感じたこともあったが、今はない。
元々人の気持ちには敏感な方なのだ。
冬馬の本当の狙いに気付くのに、時間はかからなかった。
利用していたのは、お互い様だ。
だけど、それだけじゃ、ない。

「茜?」
名前を呼ばれて、慌てて顔を上げる。
すると優しそうな顔立ちの少年が、茜を覗き込んでいた。
「冬馬」
「珍しいね、ボーっとしてるなんて。お昼、行くでしょ?」
冬馬がにこりと笑う。
その背中越しに見える時計の針が、昼休みを知らせていることに気付いて、全く授業に集中出来ていなかったことを恥じた。
「今日はパン買ってないんだ。だから学食行きたいんだけど良い?」
冬馬は、恋人としては文句のつけようがないくらいだ。
朝と放課後の送り迎え、夜の電話、昼休みに過ごす時間、さりげなく降ってくるほめ言葉。
理想の彼氏だ。
でもそれは茜が好きだからなんかじゃない。
茜と別れないようにだ。
だからこそ、こんな風に完璧な彼氏を演じることが出来る。
だけどそれはすべて仮初め。
その必要がないという判断が下れば、一瞬で終わってしまう関係だ。
それが分かってから、茜は自分でも驚くような行動をしている。
「待って冬馬、もうすぐ智晴が来ると思うから、それからで良い?」
「……智晴?」
冬馬の目が、一瞬冷たく光った。
「そうなの。さっき教科書貸したから、返しにくると思うんだけど……」
「ふうん、そっか……。分かった」
「あ、先に行ってても良いよ?後から行くから」
「ううん、茜と一緒に行きたい」
にこりと微笑むその瞳に、先ほどの冷たい光はもう見えない。
でも、見えなくなっただけで、想いは変わらない。
冬馬は間違いなく、茜を監視している。
茜が智晴の名前を口にする時、目でその姿を追う時は、決まって隣にいる冬馬からわずかな緊張が伝わる。
冬馬は警戒している。
茜が、智晴への恋心を自覚するのではないかと。
今の言葉だって、一緒に行きたいのではなく、茜と智晴を二人きりにはしたくないと言うのが本音だろう。
何かが起こる前に、自分が阻止しようと考えている。
けれどそれは、冬馬の思いすごしなのだ。
実際に茜は智晴をそういう対象として見てはいない。
だが茜はわざとその名を口にし、姿を見つければ追っておく。
それを続けていれば、冬馬は茜から離れない。
「冬馬って、他はあんまり嫉妬とかしないのに、智晴にだけはちょっと嫉妬深いよね?」
何も知らない風を装い、そんな質問を無邪気に投げかける。
すると決まって冬馬はこう言う。
「だって智晴と茜って何か特別って感じがするし。でも俺は茜の一番になりたいんだよ、嫉妬くらいするよ」
本当は違う癖に。
ただ監視しているだけの癖に、決まって冬馬はこんな風に嫉妬しているように見せる。
けど、それで良いと思う。
嘘は吐き続ければ本当になるかもしれない。
暗示じゃないけれど、言葉を発して行動すれば、後から気持ちが付いて来る。
それに、たまにこれは嘘じゃないのかもしれない何て思う瞬間があった。
きっと誰よりも人の気持ちに敏感だった茜が、冬馬の考えていることだけ分からなくなる時がある。
それはなんて不便で、なんて楽しいことなんだろう。
そうかこれが惹かれる、という気持ちか。
「……じゃあ……ちゃんと私のこと、見ててよね」
「え?今、何か言った?」
「ううん、何でもないよ」
恋をするということが、こんなにも醜くて、純粋な気持ちになるということだと。

茜は、冬馬に恋をして初めて知った。



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