冬馬は美雪のことが誰よりも大切だった。
子供の頃から少し周りの子供達と違う雰囲気を纏った美雪は、それだけで子供の標的となる。
その小さないじめを美雪が理解していたのかどうかは今になっても分からない。
黙って受け入れていたのかもしれないし、本当に気付いていなかったという可能性もある。
どちらにせよ、美雪は抵抗するような真似はしなかった。
だから冬馬は、自分が守らなければいけないと、不思議な使命感を持つことになった。
子供の頃の小さなナイトは冬馬の中で勝手に生まれ、それを今も大事に抱えている。
どんな奴が相手だったとしても、美雪の敵なのだとすれば冬馬は攻撃した。
けれど、唯一攻撃出来ない相手がいる。
それは美雪の恋の相手だ。
美雪が恋する相手を傷つけてしまうと、結果美雪が傷つく。
それはあってはならないことだったのだ。
今回も、そうだった。
冬馬は智晴が嫌いだった。
けど、直接危害を加えるようなことは出来なかった。
だからこそ、茜に近づいたのだ。
そう、美雪の考えたことは当たっている。
智晴の大事なものを奪ってやろう。
そうすれば智晴にダメージを与えられることが出来る。
そして障害がなくなった美雪の恋がうまく行くかもしれない。
そう考えたから茜に偽りの想いを告げたのだ。
けれど、冬馬自身、物事がこんなに上手くいくとは思わなかった。
美雪が智晴と付き合うことになることだって、本気では思わなかった。
そして、予想外の出来事はもう一つ、冬馬の元に現れた。
茜を好きになってしまった。
「冬馬、おはよう!」
「おはよう、茜」
朝、茜が降りる駅まで迎えに行くのが冬馬の日課になっていた。
おかげで多少早起きにはなったが、そんなものは気にならない。
毎日行っていれば習慣になって、当たり前になる。
それに、毎日こうして一緒に登校すれば、自然と人の目にもつく。
そして噂話はあっという間に広まるのだ。
冬馬と茜が付き合っているということを。
「もうすぐ球技大会ね。冬馬は出るの?」
「うん、出るよ。バレーはそんなに得意じゃないんだけど」
「ふふ、でも応援する」
「茜の組と試合することになっても?」
「うーん、表向きはクラスを応援するけど、多分冬馬ばっかり見ちゃうわ」
「じゃあ頑張らないと」
茜は可愛い。
長い髪も、小柄な体も、目を細めて微笑む顔も、ちょっと気の強いところも。
いつの間にだろうか、すべてが愛おしく感じるようになっていた。
毎日を共に過ごして、笑って、見つめ合って、手を繋いで、触れて。
甘い、日々だ。
けれど、共にいれば分かってくる。
好きだと自覚すれば余計に見えてくる。
日常生活で不意に現れる、切っても切れない存在。
茜の背後に智晴の気配が見え隠れする。
「そう、智晴ってあれで結構バレー強いのよ!」
「へえ、そうなんだ」
ほら、また。
茜は一日に一度は智晴の名を口にする。
話題に出ない日なんてないくらいに。
無自覚、なのだろう。
茜が、智晴を想う気持ちを自覚しているとは思えない。
けれど、冬馬は知っている。
ふとした瞬間、教室の窓の向こうにいる姿を、廊下ですれ違った時も、茜は智晴を目で追っている。
今はまだ良い。
けれど、その気持ちを自覚してしまった時、茜はどうするのだろうか。
今や智晴は美雪の恋人だ。
美雪に嫉妬の矛先が向かうだろうか。
それは阻止しなければならない。
いや、それよりもそんなことになれば茜は冬馬の元から去ってしまう。
そんな状況、考えたくもなかった。
「……どうしたの、冬馬? 急に黙っちゃって」
不思議そうに、茜が覗き込む。
ああ、今すぐその頬に手を当てて唇を奪ってやりたい。
けれどダメだ。
今は、まだ。
「茜が……」
「うん?」
「茜が、あんまり智晴のことを自慢げに話すから、面白くないなって」
あくまで笑って、ちょっと気になっただけだと軽い態度で、そう心がけて冬馬は言った。
けれど、口にして少し後悔した。
言葉にすれば形になる。
嫉妬という気持ちが、余計に冬馬の心を蝕んでいく。
「あら、それってヤキモチ?」
「そうだよ」
「ふーん」
嬉しそうに、茜は笑った。
ちょっとした嫉妬は女の子にとっては嬉しいものだと、誰かが言っていた気がする。
そういうものなのだろうか。
茜が喜んでくれるのは嬉しい。
けれど、これは心からの喜びではない。
茜は酔っているだけなのだ、恋人の甘い時間に。
冬馬に心が向いているからではない。
けれど、気がつかないのなら、勘違いしているのなら、出来るだけその時が長く続けばいいと思う。
長く続けば続くほど、茜は冬馬の元にいてくれるということなのだから。
「だから、あんまり智晴ばっかり見てないで、ちゃんと俺を見てよね」
美雪には、カマをかけた。
智晴と美雪、そして茜のことを知って近づいた冬馬を咎めることが出来るのかと。
そして、その事実を智晴に伝えることが出来るのかと。
結果は否だった。
予想通りだ。
恋なんて、そんな綺麗な感情じゃない。
どこまでも自分に甘くなってしまう感情だ。
手に入れがたいものが手に入ったのなら尚更。
美雪と智晴との仲が、今後とも上手く行くようにと冬馬は心から願う。
誰にも邪魔出来ないほど、想いあってくれればいいと思う。
そうすれば、茜の居場所は冬馬の傍しかなくなるのだから。
「ねえ、冬馬。私のこと好き?」
「どうしたんだよ、急に」
「良いじゃない」
「……もちろん、好きだよ」
我ながら嘘っぽい言葉だと、冬馬は思った。
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