僕の知らない君と、君の知らない僕 〜美雪〜


智晴に想いを告げるつもりなんて、美雪はこれっぽっちもなかった。
美雪にとって、恋は静かに、心の中に住んでいるものであって、その気持ちを外に投げるようなことはなかった。
気付いたときに生まれていた想いは、時に美雪を喜ばせ、時に落胆させる。
そしてやがてしずかに死んでいく。
恋とはそんなものだった。
だから、美雪が智晴に思いを告げなかったのは、相手が智晴だからだったわけではない。
しかし、告げてはいけないと他より強く思うことはあった。
智晴には特別な人がいた。
智晴と友人と呼べる関係になってから、茜という存在を知るのに時間はかからなかった。
それほど、智晴の口からは何度も茜という名前が出てくるのだ。
恋ではないと、智晴は否定した。
その考えは美雪も同意した。
何故なら智晴は茜を愛していたからだ。
本当の気持ちは智晴にしか分からない。
けれど、少なくとも美雪はそう結論づけていた。
だから、美雪の恋はまた人知れず静かに死んでいくのだろうとそう思っていた。
そう、涙なんて流すつもりはなかった。
初めから叶うことを放棄した恋だったのだ、動揺なんてしてはいけなかったのだ。
だが、美雪は泣いた。
悲しかった。
智晴が冗談で付き合うかなんて言ったことではない。
本当に、ただの冗談で、美雪に対してそんな気持ちが全くないということを思い知らされたからだ。
美雪は気付いていなかった。
静かに死に行くのを待つだけの恋が、いつの間にか死にたくはないと叫び始めていたことを。

あの出来事から一週間後。
智晴と自分が付き合うようになったということを、美雪は未だに信じられない。


「美雪、帰らないの?」
放課後の校門前。
花壇のレンガに腰かけてグラウンドをぼっと見つめていると、ジャージ姿の少年が立っていた。
冬馬だった。
「うん、ちょっと人を待ってるから」
「彼氏?」
「…………多分」
「多分って」
冬馬は笑った。
仕方ないと美雪は思う。
自分でもなんて滑稽な答えなんだろうと思ったのだから。
それでなくても冬馬は美雪に対して良く笑う。
美雪の行動が冬馬にとっては面白いらしい。
冬馬との付き合いは長いが、そうやって、美雪のことをよく笑った。
しかし、それが馬鹿にするような笑いではなく、好意を持ってのことだと美雪も分かっているため、嫌な気分になったことはない。
冬馬は昔から美雪の味方だった。
唯一だと言ってもいいほどの。
「ふうん、まあいいや。でも美雪を待たせるなんて大層な身分だね、彼氏」
「そんな。それこそどんな身分よ、私」
「もちろん、お姫様だよ」
「そうなんだ」
「そうだよ。昔から、美雪は俺の姫だから」
その言葉も幾度となく聞いた。
何故自分がと思ったこともある。
けれど、そんな風に自分の価値を自分で決めてはいけないと思い、その疑問を口にしたことはない。
冬馬の中での美雪の価値は、冬馬だけが決めることだ。
「冬馬は部活?」
「うん、今休憩中で……」
「そうなん――」
「あ、浮気現場発見」
急に、明るい声が二人の間に入った。
この声に聞き覚えがある。
振り向いて確認し、間違いがなかったことに驚く。
茜だ。
「浮気じゃないよ、茜」
「ふふ、知ってるわよ。冬馬が美雪ちゃんと仲良いってくらい最初から」
長い髪をかきあげて、茜は冬馬の傍に寄り添った。
恋人の、距離だ。
「茜、部活は?」
「今日は人数足りないから休みだって。いい加減よね」
「じゃあ先に帰ってる?」
「ううん、待ってる。図書館にいるから」
「分かった、終わったら迎えに行く」
美雪の目の前で繰り広げられる光景。
まるでドラマを見ているみたいに感じるのは、それほどまでに美雪が驚いているからだろうか。
美雪は知らなかった、茜の恋人が冬馬だったということに。
「じゃあ、また後でね冬馬。美雪ちゃんも、ばいばい」
そして、茜は身を翻して去って行った。
ふわりと軽い足取りは、蝶のようだった。
「……いつから?」
美雪が尋ねる。
「二週間前くらいかな。てか知ってるでしょ、茜に恋人が出来た頃がいつかなんて」
その通りだ。
智晴の口から聞いているのだ、茜に恋人が出来たと。
いつからなんて、愚問。
でも、そうではない、美雪が聞きたいのはそうではない。
「違う、いつから、好きなの?」
冬馬が、茜に好意を寄せているなんて聞いたこともなければ勘づいたこともない。
しかし美雪は知っている、茜が、誰かに告白をされて付き合い始めたのだということを。
つまり、冬馬から茜に告白をしたということだ。
冬馬は、答えなかった。
「なんで茜ちゃんに告白したの?」
「…………」
「なんで二人は付き合ってるの?」
やはり冬馬は答えない。
代わりに冬馬は穏やかに言う。
「俺達のことは美雪には関係ないよ」
「関係ないなんて」
「ああ、関係ないってことはないな。俺が茜と別れたら、智晴取られちゃうから」
「…………!」
穏やかなのは声だけだ。
その心内は、計り知れない。
けれど、可能性は見えた。
「まさか、冬馬、あなた……それで茜ちゃんと付き合ってるなんてこと」
冬馬は美雪を大切に思っている。
いつだったか、美雪をからかった男子生徒に冬馬は報復を与えた。
問題はその行為自体ではなく、美雪がそれを知ったのがその数年後だったということだ。
冬馬はいつも美雪をさながらナイトのように守る。
美雪の知らないところで。
「ダメよそんなの。だって……」
「茜は、今でも智晴を見てるよ」
「……え?」
咎めようとした美雪の口は、冬馬の言葉で止まった。
「隣にいるようになって、良く分かる。茜はいつも智晴を見てるよ。それでも――」
冬馬は、美雪を真っ直ぐ見詰める。
「それでも駄目だなんて、言える?」
ピーっと、笛の音が鳴る。
同時に遠くから冬馬の名を呼ぶ声が聞こえる。
休憩が終わったのだ。
冬馬は他に何も言わずに駆けだす。
美雪の答えなど、聞くつもりはないのだ。
それとも、聞かなくても良いと思っているのかも知れない。
聞かなくても分かる、と。
「……美雪ちゃん?」
「智晴」
冬馬と入れ違うように、智晴が美雪の前に立った。
少し、心配そうな顔でこちらを見ている。
「どうした?なんか顔色悪いけど」
「……ううん、大丈夫。ちょっと……」
「ちょっと?」
その続きが思いつかない。
けれど、言わなければならないと思う。
そうだ、冬馬の話が本当ならば、智晴と茜は両想いなのだ。
「あ、茜ちゃんがさっきいて……」
「茜が?」
「そう、冬馬と、話を……」
智晴は知っているのだろうか、茜の恋人が冬馬だということを。
いや、知らないはずがない。
「浮気現場だーとか言って」
違う、そんなことじゃない。
大切なのは、もっと。
「はは、茜が言いそう。そういや美雪ちゃん、冬馬と仲良いんだったよな」
「うん、そうなんだけど……」
言わなければ、言わなくてはいけない。
けれど。
「ちなみに、俺も浮気許さないから。あんま冬馬といちゃついたら、やきもち妬くからなー?」
言えない。
そんな風に笑って、手を差し伸べてくれる智晴に。
自然に、それが当たり前だと言わんばかりに手をつないで歩く智晴に。
美雪はどうしても、言いだせなかった。
「智晴」
「なに?」
「……好き」
死んでいくはずだった恋。
その恋を自分で殺すなんて真似を、今更美雪に出来るはずはなかった。



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