仮免騎士の名の下に
第1話 アメジストの姫 -6-


 水野と別れてシキは学園中を駆けまわった。
 ユリサが佐崎と接触している確証はなかったが、可能性はある。そしてもし接触していたとしたら、嫌な予感しかしない。だからシキは走った。
 そうして辿りついた先が、広場の噴水だった。
 嫌な予感は的中していた。
 佐崎は激昂し、ユリサを言葉で圧倒していた。
 怒涛の攻撃を自分の言葉なんかで彼を止められるとは思っていなかったが、それでも一度落ち着かせなければならないと出来るだけ冷静に、はっきりと言った声は佐崎に届いたようで、ユリサを捕えていた瞳がシキに向く。
 これ幸いと前に出て、今度は優しく語りかけると、佐崎は露骨に顔を歪めた。
「何だ、誰だよお前」
「継森って言うんだけど、知らない……よなー。去年数学のクラス一緒だったんだけど。あ、でも大丈夫、影薄かったから、俺」
 覚えてもらっていないことを何故自分が言い訳しているのだろうと、言ってから気付いたが今はそんなことはどうでも良い。
「で、何だよ次から次と。お前も俺を説教しにきたのか?」
「別にそんなつもりはない。確かに彼女に対して暴言を吐いたことは良くないとは思うけど、水野さんとのことは俺がどうこう言うもんじゃないだろ」
 佐崎の片眉が、ぴくりと動く。
 シキは続ける。
「どうこう言うつもりはない。……けど、お節介だとは思うけど、やり方は良くないと思う。それはお前だって分かってるんだろ?」
「何が……言いたいんだよ」
 佐崎の声は弱かった。先ほどの勢いが嘘のように小さく震える声だった。
 シキは流れていた額の汗を拭って、小さく言う。
「悲しみは、怒りで解消されるもんじゃない。悲しいときは悲しまないと」
 佐崎は息を止めた。
 何も言い返そうとしない。
 目を大きく開け、唇をきゅっと結ぶ。
「悲しい……?」
 ユリサがシキの背中で呟いた。シキはそれに頷く。
「悲しかっただけだろ? ならめいっぱい悲しめよ、辛かったんなら辛い自分を労わってやれよ」
「何が、悲しかったんですか……?」
 ユリサの問いに、佐崎の瞳が揺れる。けれど口は堅く結ばれたまま、何も紡ごうとしない。
 シキは躊躇ったが、佐崎自身がその言葉を待っているような気がして、そのまま続けた。
「失恋、したから」
 途端に、佐崎は膝から崩れて行き、再び噴水に腰をかけることになった。項垂れ、それでも声を振り絞る。
「……なんで、分かった……?」
「水野さんと話をしてきた」
 佐崎はゆっくりと頭を上げて、訝しげな表情を浮かべた。
「あいつは……気付いてないだろ、俺の気持ちなんか」
「ああ、気付いていないようだった。けど、話して分かったんだよ、彼女が誰かに好意を抱いてること」
 噴水のある広場の向こうには講堂しかない。だから水野が広場を通っていく先が分からなかった。
 けれど彼女の表情で分かってしまった。目的地は分からなくとも、目的が何なのか。
 真っ赤な顔をして、野暮な質問をしたシキに暴言を吐いて去っていった水野。暴言と言っても可愛いと感じた。それは恋する乙女が放った言葉だったからかもしれない。
 きっと彼女は、想い人に会いに行くために噴水の前を通ったのだろう。そこで佐崎と会う事になると思わずに。
「佐崎は、知ってたのか?」
「いや、全然。知ってたら、こんな風にはならねえよ」
 そうだろうとシキは思った。
 きっと二人が会ったのは偶然だった。
 偶然出会った二人は、いつもの通りの喧嘩をした。しかしそれがいつもとは違う喧嘩になってしまったのなら、そこに何か別の感情があったはずなのだ。
 それは始め、相手に対する怒りや憎悪なのかと考えていたが、水野の好意を知ってそれが逆だと気付いた。
 水野が誰かに好意を抱いてる事を知って、佐崎が激怒した。そこにある感情を想像するのは難しい事ではない。
「いつもの調子で話したんだ。今年はクラスが違ったから、その日初めてあいつと会って、久々に話せたと思って調子乗ったんだ。お前とクラスが違ってせいせいするとか言っちゃって。馬鹿だよ、そんなのこれっぽっちも思ってなかったのに。けど、あっちは本気でそう思ってた。俺と離れられて良かったって」
 それは当たり前だと思う事は酷だろうか。自分の行いに報いを受けて傷つくのは勝手だと思う事は酷だろうか。
 けれどきっとそんなことは、佐崎だって良く分かっている。
「それでカチンときて、また余計なこと言ってあいつ怒らせて。分かってるよそんなことしたって嫌われるだけだって。それでも止められなくて、いくつか言い合いしてる中で、なんとなくどこ行くんだよって聞いてみたんだ、そしたらあいつ……分かりやすいんだよ」
 シキが見た表情と同じものを佐崎も見たのだろう。そしてシキと同じように気付いた。
「……やめようと思ってたんだよこれでも。自分が嫌な奴だってことくらい分かってたし、そんな奴が好かれるわけないって知ってた。だから、今年こそは変わろうって思ってた。変わったら、また違う関係が築けるんじゃないかって、そう思ってたのに……」
 佐崎が変わる前に、無情にも水野の心は佐崎とは全く別の方へ向いていることを思い知らされてしまった。
 それどころか、一切好意的には思われていないことを痛感することになってしまった。
「カッとなって、また余計なこと言って、そしたらまた離れてく。何やってんだろって思ってたところにそこの姫が来て」
 佐崎がシキの後ろのユリサをちらりと見る。
「人の嫌がることして楽しいかって言われて、また思い知らされた。俺はただあいつの嫌がるようなことしかやってないんだなって。それを突き付けられて頭に血が上って……」
 悪いことをしたと、佐崎は頭を下げた。
「あーあ、馬鹿だよ俺。本当に馬鹿だ」
 佐崎は自嘲気味に笑った。
 他人に八つ当たりをするよりも良いはずなのに、そんな風に笑う佐崎を見るのは痛かった。
「あいつだけだったんだよ、俺の事相手してくれたの。分かってる、俺みたいな奴に関わりたくないって思うのは普通だし、そんな風に思われるのは自業自得だって。そんな中であいつだけはずっと相手してくれて、嬉しくて……」
 分かっていても、性格なんてすぐに変えられるものではない。簡単に出来るのなら、もっと人は苦労しないだろう。
 それでも、分かっているだけ佐崎にはまだ先がある。
「……そら姫に説教されるのも当たり前か」
 顔を上げて、佐崎は苦笑いを浮かべた。するとユリサはシキの後ろから出てきて、ふるふると首を振る。
「そんなこと、ありません」
 佐崎の目の前に立ち、祈るようにぎゅっと胸の前で両手を握り締めた。
「私こそ、知らずに失礼なことを言いました。まさかそんな風な気持ちをお持ちだとは思わなくて……」
 眉を下げてわずかに頬が赤い。緊張しているのか恥ずかしいのか、ただユリサが必死であることは伝わった。
「だから、少し羨ましいです」
「羨ましい……?」
 佐崎はぽかんとしてユリサを見つめる。
 そこには先ほどの勢いなど微塵も見当たらない。
「羨ましいって、何が」
「だって私は……そんな風に、我を見失ってしまうほど誰かに想いを寄せたことなんてないから……。それだけ、大事な気持ちだったんでしょう?」
 佐崎はしばらく茫然とユリサを見つめた。
 やがてまた俯いて、小さな小さな声で「そうか」と呟いた。
 その声が涙で滲んでいることを、シキは気付かないふりをした。



「……やっぱり、何もありませんよね? 待ち合わせとかだったんでしょうか?」
「うーん」
 佐崎はあの後しばらく噴水に腰掛けたまま小さく肩を震わせていたが、やがて立ち上がり去っていった。
 迷惑をかけた、とばつの悪そうに言った目元が赤かったことを指摘するつもりはなく、シキはただ微笑んだ。
 そうして佐崎を見送った後、シキはユリサと広場から移動をした。
 それはあの日水野が向かった先だ。
 ユリサの話しによると、水野はユリサが佐崎を止めた時に隙を見て逃げるように去ったのだと言う。
 広場の奥の講堂ではなく、右に曲がって行ったらしい。
 けれどそこにはなにもない。
 教師や来客用の駐車スペースがあるくらいで、建物はおろか人もいない。
「待ち合わせするのも変な場所だから……考えられるとしたらあれくらいかな?」
「あれ?」
 シキは駐車スペースとは反対の方向を指さした。
 丘に立っているこの学園は奥へ行けば行くほど高くなっていく。駐車スペースになっている方は山側で、そして反対側には建物がなく、ただ少し下にあるグラウンドが一望出来た。
「こうやって見ると結構良いポイントなのかも。グラウンドのすぐ傍の柵越しに見るよりも見やすいし」
 グラウンドから考えるとちょうど建物の二階にいるくらいの高さだろうか。
 上から見る景色はグラウンドすべてを見渡せて、部活動に励む生徒の姿が良く見える。
「なら、水野さんはここから誰かを眺めていたんでしょうか?」
「かもね。想像でしかないけど」
 そしてその謎を突き詰めるのはそれこそ野暮なことだろう。
「……あ、そうだ、これ」
「はい?」
 シキは制服のポケットに入れっぱなしだったハンカチを取り出した。
「ごめん、返すの遅くなっちゃって。ありがとう助かったよ」
「いえ。私こそ、色々助けていただいて……ありがとうございます」
 シキはハンカチを差し出し頭を下げ、ユリサはそのハンカチを受け取りながら頭を下げた。
「それにしても」
 頭を上げながら、もう一つ残っていた小さな疑問をシキは思い出した。
「何で、いつもの喧嘩じゃないって思ったの?」
 ユリサは佐崎とも水野とも面識はなかったはずだ。
 いくら居合わせた喧嘩が激しいものだったとしても、いつもと違うことなどユリサに分かるはずはない。
「それは……」
 ユリサは真剣な顔を浮かべて言う。
「死相が、見えたんです」
「え……」
 一年前の記憶が甦る。
 思えば、噴水に腰掛ける佐崎はあの時の自分に良く似ていた。
 目の前のユリサが、魔女と重なる。
 やはりあの魔女の後継者。ユリサにも特別な何かが――。
「ふっ」
「え?」
 突然、真剣な表情のユリサからは想像もつかないような声が聞こえた。
「ふふっ、あははっ!」
 ついにユリサの顔は崩れて、口元を押さえながらも隠せない笑い声を上げた。
「え、ええええ?」
「ははははっ、はあー……だって、先輩……私、冗談で言ったつもりだったのに、本当にびっくりした顔……っ!」
 そして堪えられずにまた笑う。
「そ、そんなに間抜けな顔してた?」
「間抜けって言うか……ふふふっ」
「まだ笑う!」
 何故かシキの真剣に驚いた顔はユリサに大変気に入られたようで、笑い声はしばらく止まりそうもない。
 ついには前屈みになってお腹を押さえて苦しそうになっている。
 でも全く嫌な気がしないのは、要因はなんであれ、彼女の笑顔を初めて見ることが出来たからであろう。
 今までの礼儀正しく表情もあまり崩さず、どこか人間離れしているような遠い存在のようだったユリサは、今はただの十五歳の少女だ。
 それは天使の微笑みとは言い難い。けれど、誰よりも愛らしい笑顔だった。
「す、すみません先輩……」
「いや、いいよ」
 笑う彼女につられて、シキもなんだか可笑しくなって笑った。
 まさか彼女とこんな風に笑い合うなんて、ユリサを初めて見た時には想像すら出来なかったのに、今間違いなく彼女はシキの前に居て、屈託のない笑顔を見せている。
 自分にしてはとんだ幸運が巡ってきたもんだと不思議に思いつつ、これが天変地異の前触れでないことをこっそり祈った。



「ハザマ、こっち! パスパス!」
 ドリブルをしながら走り抜けると、仲間がゴール前で手を上げている。
 パスの声に反応したハザマはドリブルを止め彼にパスをするも、途中で敵のディフェンスの手に当たり、バスケットボールは飛んで行ってしまった。
 ここは体育館ではなく、校舎の間にあるフリースペース。
 飛んで行ったボールは、そのままころころと転がって行ってしまった。
「うわやべっ!」
 一人が慌てて取りに行く様子を眺め、ハザマは額の汗をぬぐった。
「……あれ?」
 目に入ったのはたまたまだった。
 二人の姿を見つけたハザマは、そのまま彼らの後を目で追う。
「あーあ、ボール結構遠くまで行ったみたいだな……って、ハザマ、何見てんの?」
 先ほどパスを叫んだ友人がハザマの隣に立ち問いかけるが、ハザマは振り向かずにその姿を追う。
「んー? いや、誰だろうって思って」
「誰って……」
 ハザマの視線の先には、二人の生徒の姿があった。
 一人は赤い制服の女子生徒。そしてもう一人は普通科の男子生徒だ。
 二人は並んで雑談をしながら校舎の方へ向かって歩いている。
「誰って、どっちが?」
「男子の方。仲良く話してるから、知り合いかなーって」
「……ハザマは、女子の方とは知り合いなの?」
 問いかけてきた彼はハザマと同じ特進科のクラスメイトだ。
 ハザマが見ている少女は同じ学年ではないことを知っている。
「いや、まだ知り合いってわけじゃないけど……彼女は姫。今年から新しくなったアメジストの姫」
「え、そうなの? 俺まだよく顔知らないんだよね……良く知ってたな」
 感心する友人に、ハザマはどこか得意気に言う。
「まあな。ちょっと、気になってて」
 ハザマの言葉に、彼はえっと目を丸くした。
「気になる? 珍しいな! お前が女の子に対して気になるなんて言うの初めて聞いた!」
 やや大げさな反応だと思ったが、指摘はしない。
 ただ白い歯を見せて、ハザマはニッカリと笑って見せた。




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