仮免騎士の名の下に
第2話 偶像崇拝 -1-


 始業の十五分前ぐらいが、登校する生徒のピークだ。
 プリハダール魔法学園は中等部と高等部に分かれてはいるが、入口の門は同じなのでピーク時にはかなりの人数でごった返す。
 門をくぐって数メートルも歩けば、すぐに中等部と高等部は違う方向になるので混むのは一瞬だが、その一瞬が少し辛い時もある。
 けれどそれ以上早く登校しようとする気も起こらないので、シキは一年の頃からほぼ毎日この時間に登校している。
 その日もいつもと変わらない時間だったのだが、少々様子がおかしい。門へと向かう道程で、いつも以上に感じる渋滞感。
 原因はすぐに分かった。
「――あら、鴇羽先輩がいらっしゃるわ」
「本当! お一人で珍しいわね」
「ほら、あそこ。シノカゼ様よ!」
 女子生徒の声が、前から後ろから、右から左から聞こえてくる。
 そして彼女達の視線は揃って一人の男子生徒に向いていた。
 門を通ってから広がる並木道。その中の木の一つにもたれるようにして立つ姿。
 まるで新品のような青い色の制服を、着崩すこともなくきっちりと着用し、時折風で舞う短い髪も寝癖一つなく綺麗にセットされている。
 こんなにも大勢の視線を集めているにも関わらず、彼は片手に持つ本を読むことに集中しているらしく、居心地の悪さなど微塵も感じていないように柔らかな表情を浮かべている。
 たまに名前を呼ばれると、さわやかな笑顔で挨拶を返して、また読書に戻る。そんな風にして彼はそこに立っていた。
 彼――鴇羽(ときは)シノカゼの名前はシキも知っている。きっと、この学園に通う者ならほとんどの者が知っているのではないだろうか。鴇羽家は魔法使いの家系としてもよく知られる名であり、かなり古くからの由緒正しい家柄だ。そのため、知り合いではなくても彼の名前は知られているのだが、シノカゼの場合、違う意味で有名なのだ。
「それにしても、ルビー様はいかがされたのかしら?」
 聞こえた声と同じ疑問をシキも抱く。
 何故シノカゼの傍に、ルビーの姫がいないのだろうか。
 その疑問はシキの頭を悩ますほどのものでもなかったのだが、なんとなく辺りを見渡してみた。すると門の外が少し騒がしくなっていることに気がつく。
 門の近くで、黒い長い車が止まっている。すぐさま車から運転手が出てきて、後部座席の扉を開けた。そこから出てきた少女の姿を見て、また周りの生徒がざわついた。
 漆黒の長い髪が風に吹かれて流れる。その髪をかき上げる動作がまるで洗練された作法のように美しい。綺麗に切りそろえられた前髪の下には、意思の強そうな瞳が光る。
 彼女が歩き出すと、生徒たちは何も言わずに一歩下がって行き、彼女の前には障害は何一つない道が真っ直ぐ広がる。そしてその道を、当然だとばかりに堂々と歩いて行く。
 いつの間にか、その道の真ん中にシノカゼが立っていた。
「――あら、シノカゼ。わざわざ迎えに来てくれたのかしら?」
 少女は決して大声を出しているわけではない。けれど彼女の声は良く通り、無視出来ない程強く耳に届いた。
「もちろん。お待ちしておりました、我が姫」
 シノカゼは丁寧な言葉と柔らかな笑みを浮かべて、少女を迎えた。
「そう。ご苦労様」
 そんなシノカゼに彼女は微笑み、再び歩き出す。その後をシノカゼは半歩下がってついて行く。これがいつもの姿だった。
 ルビーの騎士。それが彼のもう一つの名前だ。むしろ鴇羽としての名よりも、そちらの名の方が通っている。
 彼のネクタイには、ツバキが身につけているルビーとお揃いの宝石が付けられているネクタイピンが光っている。
 姫のブローチである宝石に比べると小粒で、小指の爪よりも一回り小さい石なのだが、騎士にしか付けることの許されないそれは、小さいながらも大きく主張している。
 そしてシノカゼはその名の通り、ツバキに仕える騎士のように常にツバキの傍に存在する。
「珍しいわね、ツバキ様がこんな時間に登校されるなんて!」
 またどこからか聞こえた声に、シキはこっそりと頷く。
 そう、生徒の視線を一身に集めた彼女、黒緋(くろあけ)ツバキがこんな時間に登校するのは珍しいことだった。
 正確な時間などシキが知るわけがないのだが、どうやらもっと早い時間に学校に登校しているようだ。
 そうではないと、毎朝こんな混乱が起こるだろう。
 シノカゼの名前を知る者はこの学園には多いが、黒緋ツバキの名を知らぬ者はこの学園にはいない。
 鴇羽のそれ以上に名家とされる黒緋家の一人娘であり、その魔法の才も学園で一、二を争う腕前である。
 優秀なのは魔法の才能だけではない。基本科目でも常にトップ争いをする程の才女であり、高等部の生徒会会長も務める。
 その上、五人いる姫の一人『ルビーの姫』としても存在感を示しており、その美貌には男女問わず憧れの視線を集めている。
 ツバキの行く道に、誰もぼんやり立ってなど居られない。彼女に道を譲らんと体が勝手に引いてしまうのだ。
 立ち塞がる者などいない。
 たった一人を除いて。
「――やあ、おはようございます黒緋嬢。今日はまた珍しいですね、こんな時間に登校だなんて」
 ツバキの前に、一人の生徒が立ち塞がった。
 シノカゼと同じように綺麗な青い制服をネクタイもしっかり締めて着ている。しかしシノカゼと違い、腕に腕章を付けている。それは風紀委員の証だ。
 登校時間、風紀委員は身だしなみの検査や、遅刻の取り締まりをするため、門の傍には毎朝何人もの風紀委員が立っている。
 皆、風紀委員の目には気を付けているが、中でも一番気にしているのが彼の目だ。
 風紀委員長である葛城(かつらぎ)シオンは誰よりも規律を重んじている。短く刈り上げられた襟足が、そんな彼の性格を表しているようだ。規則は守り、自ら率先して風紀の乱れを正す。そしてそれを乱す者に対しては容赦がない。
 規則を守らない者、そして風紀委員の注意を聞かないものには容赦なく力でねじ伏せるのだ。
 普段は真面目で誠実な少年だが、その無慈悲な鉄拳制裁は生徒中に知れ渡っているため、尊敬されつつも恐れられてもいる。
 そしてそんな彼は、ツバキを前にして怯むことなく――むしろ堂々とした態度で彼女に話しかける。
 それはツバキとて同じことで、背も高く体格もしっかりしているシオンに対して余裕の笑みを浮かべながら答える。
「おはよう、葛城君。今朝はお父様のお客様と少し挨拶をしなければならなくて、家を出る時間が遅くなってしまったの。本当は学校の裏まで周った方が良かったのでしょうけど、そうすると遅刻することになってしまうから……」
 その口元は笑みを浮かべているが、その微笑みではちっとも癒される気がしない。
「遅刻はいけませんね。それは私も同感です。しかし、生徒が多く登校する中で車で現れるとは……風紀上あまり好ましいとは思えませんが、いかがでしょうか?」
 シオンも穏やかな口調でわずかに笑みを浮かべながら問いかける。しかし切れ長の目はちっとも笑ってはいない。
「そうね、確かに他の生徒には迷惑をかけてしまったわ。けれど離れて止めるのも近隣住民のご迷惑になるし……それに、規定に反したわけではないのだから、少しくらい多めに見ていただきたいわ」
「私も他の生徒ならここまで言いませんよ。けれど貴女は生徒会長だ。生徒の代表としてその振る舞いには気を付けていただきたいものですね」
 お互い笑顔を浮かべながら丁寧な口調で会話を進めているが、言葉のキャッチボールが進むほど辺りの空気が冷たくなっていく気がする。
 そう感じたのはシキだけではないのだろう。周辺の生徒はある一定の距離を保って遠くから眺めている。
 そして実際、その凍りつくような空気は気の所為でも何でもない。まぎれもなく二人は喧嘩をしているのだ。
 近くで見るのはシキも初めてだが、二人の対立は学園では有名だ。
 二人とも同じように魔法使いとしても古い家系で、黒緋家は政界に、葛城家は代々法曹界の仕事に関わっていて二人は揃って上流階級育ちなのだ。
 育った環境、教育はもちろん違うが、二人とも己が背負う名前に誇りとプライドを持ち、その名に相応しくあるように常に高みを目指してきた。
 そんな中でお互いの存在がトップの座を争う好敵手となることは自然なことだったのだろう。
 学術、身体能力、魔法の能力と、争ったものの数は数えられない。けれど未だ決着がつかず、こうして顔を合わせる度に一触即発となるらしい。高レベルな二人が合うたびに交戦モードに入るなど、まったくもって恐ろしい話だ。
「あら、相応しい振る舞いと言うなら……貴方こそ気を付けて頂けないかしら? 取り締まりが厳しく、暴力的な面もあると生徒会に苦情が来ているのよ?」
「そうですか……お手を煩わせてしまい申し訳ございません、生徒会長殿?」
「気にしないで。貴方が熱心に勤めてらっしゃるのは知っているもの。ねえ、風紀委員長さん?」
 言葉こそ丁寧に聞こえるものの、その端々に感じる棘のようなものは一体何なのだろうか。
 無駄にハイレベルな口喧嘩の様子を目の当たりにすると、彼らと今まで、そしてこれからも関わることはないだろう自分の平凡さがありがたいとシキは思った。
「あれ、シキ? おはよー」
 まるで違う世界を遠目で見るのは、テレビのドラマや漫画を見ているような感覚に似ている。
 そんな自分とは違う世界を見ていたシキを現実の世界へ引き戻したのは、普段良く聞く声だ。
 振り向いて映ったのは、同じく登校中のユウだった。
 いつものように柔らかい声で呼ぶ声に、シキはちょっとした安心感を覚えるが、その隣にいつもの日常とは違う顔を見つける。
 けれど、その知らぬ顔の正体になんとなく察しがついて、シキは笑顔で答えた。
「はよー。あ、そっちは? 噂の?」
 ユウの隣にいる少年は、シキの言葉に少し怪訝な顔を浮かべる。
「……噂って何だよ」
 ユウはその言葉に返事をせず、シキに向かって言った。
「そう、紹介するよ。同室の橘(たちばな)アオイ」
「よろしく」
 名前を聞いて、やはりそうだったかと彼を見た。
「で、こっちは継森シキ。中等部の頃から一緒なんだ」
「俺の方こそよろしく」
 シキも同じように返事をして、改めて彼をまじまじと眺めた。
 名前から勝手に中性的なイメージを抱いていたのだが、実際にはそのイメージからは外れた容姿だった。
 つり目にきりっとした眉のせいで、強気な印象に見える。隣にふわふわしたユウが居るから余計に思えるのかもしれない。
 身長はシキよりも少し低い気もするが、並んでやっとわかる程度で、むしろ足の長さやスタイルの良さを考えると下手をすればシキよりも高く見えるかもしれない。
 顔も小さいので、等身では確実に負けている。もちろん張り合うつもりは微塵もないが。
 そう、アオイはかなり男前だった。
 成績優秀で顔も整っているなんて、本当に神様は不公平だ。
「……なんか、ちょっと安心したわ」
 じろじろと眺めるシキをアオイも同じようにしばらく眺めていたようで、一通りシキを眺めた後にそう呟いた。
「何が?」
「君みたいな人がいるって知って」
 その言葉の意味をシキは少し考える。
 そして自分の容姿を良く思い出して、はっとした。
「それ嬉しくないから」
「だって、魔法使いってわけわかんない奴ばっかりじゃん」
 魔法使いと称された事に違和感を覚えたが、そう言えばアオイは魔法使いの家系でもなく、高等部からこの学園に通うようになったと言っていた。
 アオイのようにたまに先祖がえりやらで魔法使いでもない一般家庭から、魔力を持った人間が生まれることがある。
 彼はこの学園に通うまで魔法はおろか、魔法使いにさえも関わったことがなかったのであろう。
 そんな人間が、魔法を使うことが当たり前で生きていた人間ばかりが集まるところに放り込まれたのだ。アオイにとっては戸惑うことばかりだったことは想像出来る。
「まあ確かに……あの二人なんか化け物級だもんな」
 先程まで眺めていた、学園のトップ争いをしている二人に視線を投げる。
 まさかと思ったが、まだ睨み合いをしていた。
「そりゃ、あの二人は別格でしょ。二人とももうマスターの称号取ってるんだし」
 ユウも二人の騒動を違うところから眺めていたのだろう。驚くこともなく苦笑いを浮かべながら言うと、アオイが聞き慣れない単語にクエスチョンマークを浮かべた。
「マスター……? それなんだっけ」
 彼にとってはそれも慣れない言葉なのだろうと、シキは答えた。
「魔法使いの称号だよ。五段階に分けられてるやつ。俺らはまだランク1のビギナーで、このまま順調に卒業出来たらランク2のルーキーの称号がもらえる」
 魔法使いと一言に言ってもレベルは様々で、そのレベル毎に称号が与えられ、魔法の使用制限も変わってくる。
 シキのように魔法使いの家の出身の者でも、アオイのように一般家庭出身の者でも、魔法学園に通うことが出来なければランク1のビギナーの称号も与えられず、魔法使いと名乗ることも出来ない。
 しかもビギナーのランクは所謂『魔法使い見習い』の事を指し、日常生活での魔法の使用は禁止されている。
 今は学ぶために学園内での魔法使用は許可されているが、学園を一歩でも出れば使うことは許されない。
 日常生活でも魔法の使用が認められる一人前の『魔法使い』と名乗るためには、魔法学園の卒業とルーキーの称号が必須条件なのだ。
 ちなみにルーキーの称号は特定の試験に合格すれば与えられるのだが、魔法学園を卒業すれば自動的にもらえるので、普通科の人間はわざわざ試験を受けてまで早くその称号を得ようとする者は少ない。
「ああ、そういやあったな。全然馴染みないから忘れてたよ。それで、あの二人のマスターっていうのが」
「その更に上のランク3だね。普通だったら大学生で取れたら良いなってレベルだよ」
 今度はユウが答えた。
「それを高校の……しかも二年生の内に取ってるわけだから」
「化け物じゃん!」
「そうなんだよ」
 驚くアオイに、シキは大真面目な顔で同意した。同じ魔法使いだとは言っても、とてもじゃないが同じだとは思えない。
 見ると、いつの間にかツバキとシオンの間にシノカゼが入り、喧嘩の仲裁をしていた。何を話しているかはもう聞こえないが、二人は睨み合いを止め、各々別の方向に歩き出した。
 立ち止まり見守っていた生徒達も順に教室へ向かって歩き出す。
 遠くにツバキの背中が見える。そしてその傍にはやはりシノカゼ。姫の傍らに常に控え、存在する騎士。
 彼らを見て、シキは前から抱いていた疑問を改めて浮かべる。すべての姫に騎士が存在しているのならば。
 アメジストの騎士――ユリサの騎士は一体誰なのであろう?




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