勉強会


 私の弟は受験生だ。
 彼は決して成績が悪い訳でもないし、私も親も「一流の学校へ行って欲しい」なんて望んでいる訳でもない。だけど、心配だった。試験日はそう遠くない内にやって来るというのに、彼はほとんど勉強もせずテレビゲームに興じていたからだ。
 それに見かねた母がついに弟からゲームを取り上げた。禁止令というやつだ。初めは弟もすごく不満そうに文句ばかり言っていたけれど、やがてきちんと勉強に取り組むようになり、頻繁に家へ友達を招いたり、あるいは友達の家へ行っては一緒に学習をしているようだった。
 ピンポン、と玄関のチャイムが鳴る。私は慌てて玄関へ向かい、扉の鍵を開けた。
「あ、こんにちは」
「どうも〜」
 外には男の子が二人立っていた。どちらも弟の友人で、今は勉強仲間でもある。二人とも肩から提げている鞄はパンパンになっていて、どれだけの勉強道具が中に詰まっているのかと思うとたまらず応援したくなった。わざわざ重たい荷物を担いで移動した挙句、待っているのは学習という名の戦いの時間。
「こんにちは、いつも頑張ってて偉いね。さ、上がって」
 扉を押し開けて二人を家の中へと招き入れる間、二人の表情に一瞬申し訳なさの色が浮かんだ意味を、その時の私は知る由もなかった。

 今日はいつもに比べて少し騒がしい。リビングでくつろぎながら、私はそう感じていた。内容を教え合っていて、それが白熱しているのだろうか。ふと時計を見ると、時刻は午後三時をちょうど回る頃だった。そろそろ、お菓子とジュースを差し入れに持って行こうかと腰を上げ、トレイに軽くつまめるようなクッキーやチョコレート、それに三人分のジュースを入れたグラスを乗せてから、それを持って慎重に階段を上がっていった。
 体が揺れないようにゆっくりと移動をするせいで自然と足音もなく静かに弟の部屋に近付く形となったからか、部屋の中で何やら盛り上がっている彼らは私の気配に気付く事なく、会話に夢中になっているようだった。だから、私は聞いてしまった。
「――いいか、もう一度確認するぞ。タケルは右、アツシは左から挟み撃ちにする。俺がその間に気付かれないように背後に回って、後ろからズドン、だ」
 弟の声だ。妙に感情が昂ぶっている様子で、私は少し不安になった。一体何の話をしているのだろう。少なくとも勉強に関する話題ではないという事は明白だった。盗み聞きは趣味ではないのだが、私は扉の前に立ち尽くしたまま話の続きを待つ事にした。
「でも、本当に上手くいくかなぁ?」
 タケルくんの声。
「そんなの、やってみなきゃ分かんないだろ」
 これはアツシくんの声。やたらと上機嫌そうだった。
「そうだよ。俺に任せとけって。次は絶対にころして≠ンせるからさ!」
 弟の声で発せられた恐ろしい内容の言葉に、私は思わずトレイを手放しそうになった。
 ころしてみせる? 彼は今、殺してみせると、そう言ったのか?
 恐ろしい想像が頭の中をぐるぐると駆け廻る。次は、と言っていたから、ひょっとすると既に誰かを襲った事があるのかもしれない。内容から察するに、これまでに成功した事はないのだろう。だが、それでも大問題だった。受験勉強のストレスから万引きに走る子がいるなどという話はよく耳にするものだが、まさか彼らもそうなのだろうか。ゲームというストレス発散の為の道具を奪い取り勉強を強要させた結果、ストレスの捌け口を失って殺人≠ネどという恐ろしい事に手を出そうとしているのだろうか。だとすれば、私達は彼らに詫びなければいけない。そして、大きな過ちを犯そうとしている彼らを止めてやらなければ。
「よし、じゃあ……行くぞっ」
 早速向かおうというのだろうか。両親はちょうど出かけているし、止められるのは私しかいない。ごくりと唾を飲み込んでから、私は意を決してドアノブを捻った。鍵がかかっておらず案外あっさりと開かれた扉の向こう側で、三人が間抜け面をしてこちらを振り返るのが見えた。
「ねっ、ねーちゃん!」
「うわ、やべっ」
 彼らが慌てるのも頷ける。恐ろしい企みを私に聞かれたと気付いたからだろう。――と、私は最初思った。しかしそれが思い違いである事に気付くのに数秒もかからなかった。
 私は見たのだ。彼ら三人の手に、ゲーム機のコントローラが握られているのを。

「……何、やってんの」
 頭の中が真っ白になっている私の口から辛うじて出た言葉はそれだった。
「げ……ゲーム……」
 申し訳なさそうにそう言う弟の顔を見て、自分の心配がただの杞憂であった事を悟った途端、安堵のあまり私はトレイを持ったままその場にへたり込んでしまった。
「よ、良かった……」
 三人の少年が、不思議そうな表情で私を見つめていた。



 試験を間近に控えた今、ゲームを奪われていたのは弟だけではなかった。弟と同じようにゲームに夢中になっていたアツシくんも、親によってゲーム機本体を没収されていたのだ。
 それを聞いたタケルくんは、自宅にいる時にゲームを触らなくなった。それで彼の両親は安心して、ゲーム機を取り上げなかった。それこそが彼の企みであったとも知らずに。
 タケルくんは友人の家に勉強をしに行くと言って家を出る時、家からこっそりゲーム機とソフトを持ち出していた。そして弟かアツシくんの家へ行き、皆で仲良く遊んでいたのだ。もちろん、皆それぞれの家族にバレないように、だ。
 でも、今日は違った。たまたま遊んでいたゲーム――銃を持った兵士を操作して戦場を駆けまわる、サバイバルゲームのようなもの――にすっかり夢中になってしまったせいで私の接近に気付かず、私がタイミング悪くステージクリアの為の作戦会議だけを聞いてしまった。
 それが、今回私が一人大慌てした件の真相だった。
「ねーちゃん、ごめん……」
 すっかり黙り込んでしまった私を見て怒っていると思ったのか、弟はしゅんと項垂れて謝った。彼に続いて、友人の二人も謝罪の言葉を口にする。
 私はしばらくしかめっ面をしたまま三人を見て、それから菓子やジュースの乗ったトレイを置いたテーブルを一瞥してから言った。
「……いいわ、許してあげる。その代わり条件があるんだけど」
 三人が固唾を飲む。私はにやりと口角を吊り上げて続けた。
「これから、うちで勉強会≠する時は、なるべく私がいる時にする事。どう?」

 三人は私の提示した条件を飲んでくれた。これで、私は毎回彼らに菓子やジュースを運ぶ役となり、隠れてこっそりゲームをやっているという事実を親に気取られる可能性は低くなっただろう。
 親がゲームを禁止するというきっかけを与えなければこんな事にはならなかったのかもしれないけれど、それでも私には彼らを叱り、ゲーム機を取り上げるなどという気は起こらなかった。
 リビングに戻り、運ばなかった分のお菓子を食べる。
 そして、弟の部屋のテーブルに広げられていた勉強道具や散らばった消しゴムの粕を思い出して、一人微笑むのだった。




 あとがき

 脳内だけで完結させて没にしていましたが、
 形にしないのも勿体ないなと思い、仕上げてみたお話です。

 いわゆる叙述トリックを用いた話を書いてみたかったのですが、
 いざ完成してみるとお姉ちゃんの妄想が独り歩きして
 勝手に焦って何とかしようとする、ただのギャグになっちゃいました。

 ご覧頂き、ありがとうございました!

 【2011.04/03 水月】



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