金木犀


 夏の蒸し暑さが消え、涼しい風が吹くようになった外を並んで歩く。今日は風が強い。横から吹き抜ける風はユリサの髪を散らして顔を覆って行く。鬱陶しさを感じながら顔にかかった髪をかき上げると、隣を歩くフィルが何だか優しい顔でこちらを見ていた。
「なに?」
 言い方がきついと良く言われる。それはユリサにも自覚があった。けれど幼い頃からこんな調子なのだ。十五歳にもなって、今更可愛い言い方なんて出来やしない。
 それに、冷たく聞こえるだけで、本心は違うということを、フィルは充分理解している。だから、何も気にする必要などない。
「んー? ユリサ髪伸びたなあって思って」
 案の定、フィルは気にした様子もなく、そんなことを口にした。言われてユリサはああと納得する。中等部に上がってから長い間短めだった髪は、今はもう肩に届くくらいに伸びている。
「変?」
「ううん、全然。むしろ似合うよ。可愛いし」
 お世辞ではなく本心から言ったのであろうその言葉は、ユリサを少しだけ複雑にさせた。
 可愛いというのは、例えば幼い子供に対して言うような言葉ではなく、少女的な愛らしさを指しての言葉だ。
 それを思うと、素直に喜べない。
 ユリサを可愛いと言ったフィルはユリサがまだショートヘアだったそれよりも短い髪で、まるで少年のようだった。
 少年のような雰囲気は髪だけではない、本来ならばユリサと同じ制服を見に纏うはずのフィルは、制服は制服でも男子生徒の制服を着用している。知らない者から見れば、彼女が女子生徒であるなどとは思わないであろう。
『男なんて嫌い。でも女はもっと嫌い』
 それは、幼い頃に言ったフィルの言葉だった。それをどんな気持ちでフィルが言ったのか、ユリサは未だに知ることは出来ないが、こんな風に男の格好をし始めた原因の一つとしてその感情があるのだろうとユリサは思っている。
 ユリサはその気持ちがなんとなく理解が出来た。
 男が女が、という気持ちではなかったが、ユリサも他人が苦手だった。自分を見る他人の目が嫌いだった。だから、男女飛び越えて他人の目なんか気にしないとするフィルの態度はとても好感の持てる――いや、尊敬に値するほどのものであった。
 髪を伸ばさなかったのは、少しだけその影響があるだろう。
 ユリサは男に生まれて来たかったなんて思ったこともないし、女でいたくなかったとも思わなかった。けれどフィルのような女でも男でもないような存在には少し憧れた。その憧れに近づくのに、ユリサは髪を短くするので精いっぱいだったのだ。
 それに、フィルに嫌われたくないと言う気持ちもあった。
 元々はっきりとした顔立ちのユリサは、綺麗や可愛いと称されることが多かった。それにロングヘアーも加われば、まるで人形のように愛らしくなるのだ。それはどこからどう見ても女の子で、そしてそれはフィルが一番嫌う人種になるのではないかと、そんなことを思っていた。フィルとは長い付き合いで、彼女が見た目だけで人を判断するような人格ではないと知っていても。
 だから複雑だった。可愛いと言われることは、本当に喜ばしいことなのかと。
「……どうしようかな」
「何が?」
「髪の毛、切ろうかなって」
「え、伸ばしてんじゃないの? もったいない、折角似合ってるのに」
「でも……」
「伸ばしなよ。可愛いから」
 顔を上げてフィルを見た。その瞳はまっすぐで、嫌味はこれっぽっちもない。
「じゃあ、フィルも伸ばせば?」
 それは不意に出た言葉だった。言ったユリサ自身が驚いたほど。
「いやー……俺は似合わないって」
「分かんないよ?」
「そりゃ、ユリサみたいに可愛かったら似合うけど……こんな顔だし、そもそもこんな格好してるし。似合う奴がすれば良いの!」
 そう言ってフィルは照れながら笑った。それはかつて男も女も嫌いだと、そんな風に言った姿からは想像出来ない反応だった。
 いつの間にか、フィルの気持ちは変わっていたのかもしれない。見た目が変わらないから、そうは思わなかっただけで、男も女もフィルにとってはもう忌むべき存在ではないのかもしれない。
 でも良く考えれば、それは不自然な話でもなんでもないのだ。人は何とでも変わる。何か小さなきっかけで、もしくはそんなものがなくても。そう、ユリサが髪を切らなくなったように。
「……フィル、また身長伸びた?」
「あ、分かる? 両親とも背が高いから、多分これからまだ伸びるよ」
 背が高くなれば、またフィルは一段と少年のように見えるだろう。けれど、いつまでもそうはしてられない。その時フィルはどうするのだろうか。
「……あ」
「なに?」
「甘い香り」
 強い風が連れて来たのは、独特の強い甘い香り。金木犀だ。
「俺、この香り好きなんだよねー……」
 うっとりと、フィルはそう言った。
 それは、可愛らしくデコレーションされたケーキを目の前にしてうっとりする少女と何一つ変わらない顔で、その瞬間だけは、フィルはどこからどう見ても乙女だった。
 意外だと思った。けれど、それが彼女の本来の顔なのかもしれないとも思った。
 人は変わる。いつか、フィルも女になる日が来るかもしれない。前まではそれを寂しいと感じていたが、今日は少し違った。
 甘い香りを纏って、甘く笑うフィルにいつか出会えるかもしれないと考えると――何だかとても楽しみに思えたのだ。



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