紫陽花


「うわ……綺麗だな……!」
「でしょう?」
 珍しいものがあるから見に来いと言った奈央の言葉に従って、学校の帰りにそのまま奈央の家に寄った。
 とは言っても俺の家もすぐそこだから、あまり寄り道してる気分にはならない。
「お母さんがね、職場の人に貰ったんだって」
 そう言って、自慢げにそれを眺めた。
 奈央が見せてくれたのは、鉢に植えてある大きな花。
 真っ白な、紫陽花だった。
「すごいな……白い紫陽花があるって聞いたことはあったけど、こんなに綺麗に白いやつ、初めて見るかも。ほら道に咲いてるのは青とか紫のだし」
「うん。俺もそうだよ。だから珍しくて良いなって思って、まーくんに自慢した」
「なるほどな」
 奈央の声が弾んでいるのがよく分かる。俺はそこまで花で心が躍るなんてことはないけど、奈央はそうじゃない。花だけじゃなくて、奈央は昔から雨とか風とか虫とか動物とか、そんな自然のものが好きだった気がする。
 高校生にもなって男が花で喜ぶなんてって思う人はいるかも知れないけど、でも俺は良いと思う。
 何にも心を動かされない奴よりはよっぽどマシだ。
 それに、奈央がこんなに嬉しそうにするのは実は珍しかったりするから、久しぶりで面白い。
 このテンションの上がり具合から言うと、昨日はおばさんと一緒にかなりはしゃいだんだろうな。
 その光景が、すぐに浮かぶ。
「あ、まーくん知ってる?」
「ん?」
「紫陽花って毒があるんだって」
「あー、うん。知ってる」
「あれ、知ってるの? 残念、驚くと思ったのに」
 残念、と肩を落とす仕草をしてみせるが、その顔は全然残念がっているようには見えない。
「まーくんって、たまに無駄に博学だったりするよね」
「無駄には余計……って言いたいけど、自覚はある」
「じゃあ他に無駄知識披露してよ」
「…………」
 やっぱり、嘘でも奈央の豆知識に驚いていれば良かっただろうか。顔は変わらないと思っていたのに、言葉にどこかトゲを感じる。
 気の所為だということにしておこう。
「そうだな……じゃあ紫陽花の色は土によって変わるっていうのは?」
「え、そうなの?」
「うん。酸性度が強いと青で、アルカリ性だったら赤って聞いたことある」
「へえ、リトマス紙みたい」
「まあ、それだけが原因じゃないらしいけどな」
「……でも、育った環境に左右されるってことでしょ?」
「多分」
「そっか……」
 途端に、奈央が寂しそうな顔をした。
 その原因が分からず、俺は首をかしげる。
「どうした?」
「……いや、折角綺麗な真っ白なのになーって思って」
「うん?」
「さすがにさ、ちょっと俺の家で育てるのは難しくてさ、おばあちゃん家に庭があるから、そこで育てようって話になってたんだよね」
「そうだったんだ」
 確かにリビングにでかでかと鉢植えを置いておくわけにもいかない。見事な花だから、余計に難しいと思う気持ちは分かる。
 でも、奈央のおばあちゃんが引き取ってくれるなら、その庭で元気に育てて、たまに見に行くのだって出来る。
 ――あ、そういうことか。
「庭に植えるとなると土変わっちゃうわけでしょ? 違う色になっちゃうかもしれないってことだよね。だったら、残念だなって……」
 紫陽花そのものが変わるわけではないけれど、こちらの都合でその姿を変えさせるかもしれないことが奈央を寂しい気持ちにさせていた。
 こうなると俺の無駄知識は無駄どころか邪魔な情報だったわけだ。そう思うと少しばかり心が痛む。
 言い方が、悪かったな。
「……大丈夫じゃね?」
「何で?」
「白い紫陽花は酸度の影響受けないんだってさ。だからどこの土でも白いまんまだよ」
「本当に?」
「……多分。ごめん、確かな記憶じゃないから断言出来ないけど」
「そっか……でも、そうだったら良いな」
「いつおばあちゃんとこに持ってくんだ?」
「明日。朝のうちに車出すって言ってたから」
「じゃあ今日でお別れだな」
「うん。おばあちゃん張り切ってた。白い紫陽花で庭いっぱいにするって」
「そうなったら俺もちょっと見たいな」
「そうだね。そうなったら、またまーくんに自慢するよ」
 本当は手放すのが惜しいんだろう。そんな顔を奈央はしていた。でも我儘を言うほど子供でもないし、そもそも我儘を言う子供ではなかったと思う。
「どうしたの? まーくん」
「何が?」
「いや、何か困った顔してたから」
「そうか?」
「うん」
 そんな自覚はなかったけど、どうやら俺は困った顔をしていたらしい。
 何故そんな表情になったのか――それを考えるのは、まだ早いと、俺は考える事を止めた。
 ただ、その真っ白な紫陽花と奈央が重なって見えただけなんだ。



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