バレンタイン


 バレンタインと騒いでいるのは世間と女の子たちだけだ。俺は今までこの行事を楽しみにしたことはない。負け惜しみとかじゃなくて、本気で。
 それは俺の隣を歩いている奈央もそうなんじゃないだろうかと思う。考えていることは違うのだろうけど。
「ね、まーくん」
「何だよ奈央」
「あれ、美香ちゃんじゃない?」
「え? 本当だ」
 バレンタインだということを大きく挙げたピンクの看板が至る所に設置されている商店街。
 そこを寒々しく男二人で歩いていたら、奈央がにこりと笑って言った。
 視線の先には店の前のワゴンの商品を必死に眺めている少女――美香がいた。
「美香、何してんの?」
「うわ! ……なんだ、まーくんとなおちゃんか」
 声をかけると美香は大げさに驚いて見せて、そして安心したかのように息を大きく吐いた。
「美香ちゃんもチョコレート?」
「そうだけど……何よ、似合わないって言いたいんでしょ?」
「何も言ってないのに噛みつくなよ美香。奈央がそんなこと思うわけないだろ」
「なおちゃんが思わなくても、まーくんは思うでしょ」
「うん」
「ほら!」
 美香とは小学校の仲だから、こんくらいの軽口は日常茶飯事だ。美香だって、それで大きく傷つくことはない。
 でも、意外だって思ったのは事実だ。
「……ね、ちょっと二人に聞きたいんだけどさ」
「何?」
「男の子ってやっぱり手作りの方が嬉しい? それとも普通に高いチョコの方が良いのかな?」
 何て乙女な悩みなんだろう。照れくさそうに聞く美香は間違いなく女の子で、心なしかいつもより可愛く見えて驚いた。
「いや、どうだろ……。失敗されてそれを全部食べきる甲斐性がそいつにあるかどうかじゃない?」
「ちょっと、何で失敗する前提なのよ」
「あ、悪い」
 しかしそんなことを問われても、正直答えられない。手作りは手作りで嬉しいものだし、だからと言って買ってきたチョコレートが駄目だとも言わない。それに、俺はそう思っているけど、それこそ人それぞれだろう。手作りなんて嫌だって思う奴もいるかもしれない。
「ねえ、なおちゃんはどっちが嬉しい?」
「俺? そうだねー……」
 奈央は胸の前で腕を組み、うーんと唸った。
 美香ではないが、俺も奈央の答えは気になる。
 というか、そもそも奈央とは女の子の話をしたことがないから、今ものすごく変な気持ちだ。
「俺はどっちでも嬉しいよ。俺のために、俺のことを考えて用意してくれたものだからね」
「そっか……」
「でも、あいつはベタなの好きそうだから、美香ちゃん作ってあげれば? 喜ぶと思うよ」
「え?」
 美香はぱっちりとした目を更に大きくさせて奈央を見た。
 奈央はいつもと変わらず柔らかい表情で美香を見ている。
「……ちょっと待て奈央。あいつって?」
「え、まーくん知らなかったの? 浩太と美香ちゃんが付き合ってること」
「…………ええええ!」
「あ、知らなかったんだ」
「初耳だ!」
「って、何でなおちゃんが知ってるの? 浩太が言ったの?」
「ううん、聞いてないけどなんとなく」
 どうやら美香も奈央が知っていたことには驚きのようで、稀に見る慌てっぷりを披露した。
「でも、だから俺達に聞いたんでしょ? 浩太とは昔からの付き合いだしね」
 とどめの一言を奈央が言うと、美香は顔を真っ赤にさせた。図星だったんだろう。そのまま何か良く分からない呟きだけ残して、全速力で逃げ去ってしまった。
「あ、悪いこと言っちゃったかな」
「良いんじゃね? とりあえずアドバイスはしてやったんだし。それにしても意外だな。あの浩太と美香がね……」
「そう? お似合いだと思うけど」
「でも浩太ってもっと女の子って感じのタイプが好きだろ? 美香ってどっちかっていうとサバサバしてるしさ」
「そうかな? バレンタインで悩むなんて、十分女の子らしいと思うけど」
 確かに、それは奈央の言う通りだ。
 ワゴンに並べられているチョコレートを必死に見る姿も、俺達二人に質問してきた時も、美香は紛れもなく女の子をしていた。 「……バレンタインって女の子のイベントだと思ってたけど、もしかして女の子を増やすイベントだったのかな」
「何それまーくん、面白いこと考えるね」
 奈央がふふっと笑った。奈央にそんな風に笑われるのは少ないから、変な感じがする。
「でも、女の子をいつも以上に可愛くさせる効果はあるかもしれないね。頑張る女の子は可愛いよ」
 さらりと、奈央はそんなことを言った。
 美香とは小学校からの付き合いで、男と一緒に鬼ごっこなんてするような奴だったから、可愛いだなんて思ったことはなかったけれど、さっきの美香はちょっと可愛かった。
 そして何より、そんな美香の可愛さをもっと早く知っていた浩太を俺は少し尊敬した。



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