時計の時刻を確認するとちょうど午後一時。
降り注ぐ太陽光を浴びていると感じるだけで目まいを覚える。
立って待つのが辛いという理由で、駅の向かいにある花壇に腰かけたのが間違いだったと後悔をするも、移動するのも億劫だ。待ち人が早く現れることを期待しようと思ったが、その期待に応えられたことがないのはよく分かっている。
まだ三分も経っていないだろう、けれどまた時計を確認しようと俯くと、突然あたりが暗くなった。とは行ってもそれは自分の周りの限られた場所だけで、それが誰かの影だということはすぐに分かった。
「――いい加減にしろよ、お前」
「……カツアゲなら他所あたってくれませんか?」
「ふざけんな。誰がカツアゲだよ、北斗」
苛立った声に仕方なくと言った様子で、北斗は時計から視線を外し、顔を上げた。
「周りから見たらそう見えなくもないと思うけど? 真夜」
さすがにカツアゲ、とまではいかないにしても、目の前に現れた真夜は明るく染めた髪を綺麗にセットしていて、流行りの服にいくつも連なったネックレスに大きな指輪。言い方は良くないが遊んでいると思われても仕方ない格好。対して北斗は寝癖だけは直した黒い短い髪に眼鏡。シンプルなポロシャツとジーパンと、優等生という印象を与えそうな外見。
二人が仲良く話す姿は、どこか不自然に映らなくもない。
「お前、いつも俺に対しては冷たいよな。他の奴にはへらへら良い顔するくせに」
「別に。真夜がいちいち小言言ってくるからだろ」
「年上として忠告してやってんだよ。――お前、そろそろ限界だろ」
ぴくりと北斗の眉が動く。
真夜がやって来た時点でこの話をされることは予想出来ていたが、ポーカーフェイスを完璧にすることは出来なかった。
「……まだ大丈夫だよ」
「まだとかそういう問題じゃねぇの。そうやって限界ギリギリまで我慢するのが駄目だっつってんだろ? そんなん続けてたら――」
真夜が声を落とし、低く、呟く。
「いつか死人が出るぞ」
いつになく真剣な表情だ。
北斗は真夜のその顔が苦手だった。
「……そんなヘマしないよ。今までだって大丈夫だったし」
「あのな、今までが大丈夫でもこれからはそうとも限らない」
こんな会話を今まで何度交わしてきただろう。
いい加減聞き飽きて、北斗は返事をするのも億劫になった。
「限界感じる前に、そこらへんにいる女捕まえて来いよ。そしたらそんな心配もないし」
「嫌だよ。真夜は簡単に出来るかもしれないけど、俺はそんな――」
「出来るだろうが、お前なら簡単だろ」
真夜は腰を落とし、北斗の耳にだけ届くように顔を近づける。
そして、言った。
「簡単だよ。もうちょっと自覚を持て。吸血鬼だっていうさ」
「…………」
言って、真夜は顔を離した。
そのままどこかへ行ってくれないかと願ったが、残念ながらまだ真夜はここから動かないつもりのようだった。
そう、北斗と真夜の二人は吸血鬼だった。
人間とは違う種族。だが、おとぎ話にあるような吸血鬼とも少し違った。
昼間だって活動出来るし、ニンニクも十字架も怖くない。不死身の体でもなければ歳だって取る。
ただ唯一人間と違うところは、血を吸わなければ生きて行けないことだった。
そして、その性質故か、異性を魅了する力には長けていた。
真夜はもちろんだが、北斗だってその気になれば、ナンパして失敗することなんてまずないのだ。
「その辺の女捕まえてさ。適当にセックスして最中にちょーっともらえば良いじゃん。傷口はすぐ塞がるんだし、相手はキスマークか何かだと勘違いして気付かない。完璧だろ?」
「だから、それが嫌だって言ってるんだよ」
「何が? セックスが?」
「それもだけど……何より」
「何より?」
「血を吸うのがだよ!」
「……まだそんなこと言ってるのかよ……」
真夜が呆れたと言わんばかりに大きくため息を吐くが、北斗にとっては重大な問題なのだ。
「だって、誰か知らない奴の血だよ!? その日何食ってるのかも分からないし、どんな生活してるかも分からない! しかもセックスの途中とか、汗とか化粧とか香水とか混ざってるし、そんなもの口にするなんて……気持ち悪い!」
「馬鹿っ! 声がでかいっ!」
「あ……っ」
咎められて自分が熱くなっていたことに北斗は気付き、途端に恥ずかしくなった。
会話は聞かれてるようには思えなかったが、いつ誰が通るとも限らないのだ。
「ほんと、どうにかなんないのかよ、お前のその潔癖症……」
「どうにかなってるんだったらとうになってるよ」
「そうだけど……でも北斗。お前さ、前より我慢してる期間長くない?」
「……別に?」
「いや、絶対そうだ」
嬉しくない話だが、真夜の考えは当たっていた。
いくら嫌だとは言っても、吸血行為をしなければ生きてはいけない。
だから限界が近付くと仕方なく誰かの血を頂戴していた。
けれど最近では本当に限界だと感じるまで取らないようにしている。
「他に何か理由があるとか?」
「ないよ」
「ならちゃんと取れよ」
「分かってるよ……」
「分かってねえよ! お前、本気で限界来て誰かを襲っちまってからじゃ遅いんだよ! 理性がある内は調節出来るからいいけどな、見境なく取ったら……相手が無事だとは限らないんだぞ!」
真夜の言うことはもっともだ。
そんな事件を起こすことは、人間の世界で隠れて生きてく吸血鬼にとってはあってはならないことだ。
気付かれてはいけない、勘付かれてはいけない、疑念を抱かれてはいけない。
だから自分のやっている行為が他の吸血鬼の仲間を危機に晒していることだって分かっている。
けれど、それでも出来ないのだ。
「……真夜、そろそろ人が来るから」
「何だよ彼女か?」
「男。ただのクラスメイトだよ」
「そーかよ。本当にお前、色気ねえな」
「ほっといてよ」
待ち人に真夜といるところを見られるのは困る。
毛色の違う二人だ。どんな知り合いなのか問われたって良い答えが思いつかない。
それは真夜だって同じだ。
「北斗、お前が考え変えない限り何度でも言いに来るからな。ちゃんとしろよ」
「はいはい」
適当な返事に、真夜はチッと舌打ちをすると、その場を去っていた。
影がなくなり、再び太陽が北斗を焼き付ける。
いくら昼間に活動出来るとは言っても、それでもあまり体に良いとは言えない。
やはり移動するかと立ち上がろうと思った時、その姿が目に入った。
「北斗。お待たせ」
「……今日は早いね、那智」
「何それ嫌味?」
「いや、率直な感想」
「生意気なんだけどー」
「わ、こら蹴るなって」
遅れてきたことに一切詫びを言うことはなく、那智は涼しい顔で現れた。
花壇に座ったままの北斗の足をじゃれるように蹴る。
もちろん痛くはない。
「じゃ、行こうか。那智――ッ」
「北斗!?」
待ち人も無事に来たことだし、移動をしようと勢い良く立ち上がるとくらりと目まいがした。
視界がぱちぱちと弾けて、足元がふらつく。貧血に良く似た症状。
当たり前だ、血が足りないのだから。
「ちょ、大丈夫かよ」
「――ん、大丈夫。急に立ち上がったから」
「本当に? お前最近顔色悪いけど」
倒れそうになった北斗を支えようと、那智が肩に手を伸ばす。
そして心配そうな表情で顔を覗き込んだ。
その、男にしては綺麗に整えられている顔が近くにあって、北斗は急に体が強張る。
どくん、と音が聞こえる。
それは自分の心臓の音。そして――触れた手から感じる、那智の血が流れる音。
だめだ。
「……大丈夫だって。暑さにやられただけ。顔色悪いのは元々」
「なら、良いけど」
本当は知っている。自分が吸血行為をしようとしない理由を。
潔癖症なのはもちろんだが、それ以上に、見つけてしまったからだ。
那智の手を振り払って歩く。すると那智は心配そうな顔をしながらも北斗の隣を歩く。
ふわふわの髪に大きな瞳。背が高く、すらっとした細身の体型。女の子のようだとは思わないが、それでも綺麗だと思ってしまう。
そう、那智は北斗にとって綺麗な存在だった。
どんな人間よりも、綺麗な存在。
だから思った、彼の血は今まで飲んできたどんな血よりも甘くて美味しいだろうと。
「北斗?」
「え? うん、何?」
「何って……お前がじっと見るから」
「あ、ごめん」
けれどそれは出来ない。
きっと手を伸ばしてしまえば、もう二度と傍にいることは叶わない。
もし那智の首元に牙を剥いてしまえば――その時北斗は人生最大の幸福を知り、そして絶望を味わうのだろう。
いつか誰かが言っていた。惚れた女の血ほど美味しいものはないと。
それが本当だとしたら――なんと残酷な運命だろう。
「で、那智どこ行きたいんだったっけ?」
「新しいピアス欲しいんだよね」
「ピアスかー」
「お前も付ければ? 開けてやるけど」
「いや、遠慮しておく」
北斗は、自分を呪う。
吸血鬼であること、潔癖症であること。
そして、初めて恋をした相手が、友人の――同性の人物であることを。
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